私が独立するまでの物語

私はケンタッキーフライドチキンで

26年間会社員として働いていました。

 

カーネルサンダースの

「おいしさで人をしあわせにする」姿に感動し、

彼のようになりたい、

彼のように人をしあわせにできる人間に

なりたいという想いを大切にしてきました。

 

人を大切にし、

食材を大切にし、

店舗を大切にし、

お客様をもてなす。

 

そこで見られるお客様の笑顔を

どれだけつくってあげられるか

そこに注力していると

自然と業績はついてきました。

 

おかげで

100名以上いた同期のトップで

本部の管理職にも昇格し、

順風満帆の会社員生活を送るはずでした。

 

ところが

管理職になってしばらくすると

上司に合わせてしまっている

自分がいることに気が付いたのです。

 

これは、

それまで純粋にお客様のことだけを考えて

仕事をしてきた私にとって

大きな違和感を感じるものでした。

 

全員が横並びで仕事をすることが

そんなに大切なことなのか?

 

どうして自分が正しいと思うものを

我慢しなければいけないんだろう?

 

それが管理職だから仕方が無いと

上司は言うけれど、

それじゃあ全体は変わらないじゃないか?

 

こんな違和感が自分の中で大きく膨らんで

もう自分だけでは支えきれなくなってきた

ちょうどその時期に、

熊本の田舎に一人暮らしをしていた母が

認知症になりました。

 

私は

介護休職をさせてもらい

母の実家の整理と施設への入居を進めます。

 

自分のメンタル疲労もあったし

母へは親孝行の機会にもなるので

前向きな気持ちで母の介護に向かいます。

 

母の実家の整理や財産管理の法的手続きを行って、

施設に入居する段取りを進めました。

 

ところが

母から強烈な反発をくらいます。

 

私は全て母のことを想い、

親孝行のつもりで進めていたのですが、

母は「私の自由を奪いに来た親不孝者」と

私のことを罵るようになったのです。

 

母にしてみれば

のんびり自由に一人暮らしを謳歌していたのに、

いきなり息子が帰ってきて

お金も家も取り上げられた

そんな感覚だったのでしょう。

 

その上、自分が認知症であることを

自覚はしていても、認めたくはない、

病人扱いをされたくはない、

そんな葛藤もあったはずです。

 

私は、そこでも悩み苦しみました。

 

良かれと思ってやっていることが

よりによって大好きな母に理解されないなんて・・・。

 

そこで、人間心理について

本格的に学ぶようになったのです。

 

さらに、対話の技術であるコーチングを

体系的に身に着けることにしました。

 

すると、

それまで険悪だった母との関係性が

一変したのです。

 

いつも怒りをぶつけていた母が

穏やかな表情になり、

落ち着きを取り戻し、

私との関係性もそれまでにないくらい

良好な関係になりました。

 

介護休職を終え

会社員生活に戻った私は

人財育成の部署に異動します。

 

そこで

人の心に働きかけるコーチングを

新入社員育成プロセスに組み込んだら

入社2年以内の離職者が0になったのです。

 

これは社会に必要とされている技術だと

確信を持った私はその1年後に独立しました。

 

仕事とは

本来自分自身を豊かにさせるものです。

 

ところが

成果主義が横行している社会は

その「豊かさ」を失っているようです。

 

仕事は生活の為、お金の為やっている。

 

確かにそれはあるでしょう。

 

しかし、

その目的だけで本当にいいのでしょうか?

 

仕事の時間もあなたの貴重な人生の一部です。

 

時間の積み重ねがあなたの人生の質を決めます。

 

時間の質を上げるには

仕事の時間を、

あなたの価値観を満たすことに

集中させることです。

 

かつての管理職時代の私のように

違和感を持って仕事を続けている人は

少なくないでしょう。

 

そんな違和感を払しょくし、

 

誰もが自分らしさを発揮し、

楽しく豊かに働ける社会を実現するために

活動していきたいと思っています。